“ちょうど良い”と感じる身体感覚と幸福さと【後編】

「やっぱり闇が近くにあるのは まともなことだと本当に思う」

“ちょうど良い”と感じる身体感覚と幸福さと【後編】

鳥取県東伯郡湯梨浜町

このくらしの主
オオカワ サチエさん(43歳)

横浜市生まれ。 神奈川・東京・大阪・アイルランドで暮らし、2021年より鳥取在住。建築設計事務所、アートギャラリーの運営、出版社勤務などを経て、福祉分野の面白さと可能性に惹かれて重度障害者や高齢者介護に従事するようになる。障害者・高齢者の地域での自立生活支援、地域コミュニティや人的ネットワークにおける互助、精神障害者の権利擁護活動などに興味を持っている。
撮影期間:2022年8月〜10月

突然「アーティスト・イン・レジデンス」が始まった

何年も前に鳥取県に移住してきた絵描きの女の子が最近湯梨浜町に越してきて、でも家に蚤だかダニだかが大量発生して、展示前に制作できなくなって「たみ」に避難してきてたの。偶然会った時に、”これからなんとかここで制作しようと思ってる”って言ってたんだけど、白熱球しかないし、テレピンの匂いの中で寝ることになるし、たみはシェアハウス兼ゲストハウスだから集中して制作できないだろう思って。“うちにくれば?”って言って、会ったその日から1か月近くウチにいたのかな。そんなわけで突然「アーティスト・イン・レジデンス」が始まったんですよ(笑)

ーウチっていうか下宿先っすよね?(笑)

そうそう。私の家じゃないんだけど(笑)。でも空いてる部屋いっぱいあるし、アトリエと寝室を分けられるよって。で、大家さんに電話したら即OK出て。そこから1か月くらいかな、3人で暮らしたの。昔、私たちがやってた「とたんギャラリー」みたいで楽しかった。彼女は夜遅くまで集中して制作して、で、無事完成して展示を観に行った大家さんが彼女の作品をとても気に入って購入された。だから今では毎日その絵がうちで見れるのよ。

 

※iPhoneで撮影

この右側の絵が今は居間に飾られている。大家さんのお父さんが民藝や絵や版画が好きで、交流のあった長谷川富三郎という倉吉の民藝運動の中心的人物だった版画家兼校長先生の作品も飾ってあって、元々絵がいっぱいある家なんだけど、こういうタイプの絵はなかった。

普段は応接と音楽を聴く時くらいしか使わない吹き抜けの居間で、大家さんが”ここで毎晩、この絵を見るのが日課になった。”って。”昼見るのと夜見るのとでは全然違うんだ”って。

―それは…素晴らしい言葉ですね。

 

なんていうかね、自然に生えてくる感じ?

これはね、最近「たみ」の近くにできた古着屋さんで、このお店の目の前が湖畔なんだけど、そこにある何ってこともない公園で一日だけ「温線市庭(おんせんいちば)」っていう出店イベントをこの子たちがやったの。子どもたちも走り回れるような、地元のおじちゃん、おばちゃんたちも来れるような、ピクニックみたいなお祭りみたいなのをやっていて。

―”それ、やりたい”って思ったらやれちゃうところがいいですよね。

そうだね。夏まつりで町の人たちがそこで踊るっていうくらいの場所で、自主的に何かやりたいっていう事例があんまりなかったと思うの。でも”やりたい”って言ったらできるとか。

あと、「ジグシアター」っていうすごいいい映画館も、廃校の後で工芸工房みたいにして町は貸そうとしていた…よくやるじゃん、廃校を工芸のアトリエにしようみたいな。でもそれだと全然人が集まらなかったのを、たぶんうまくねじ込んでくれる人のサポートもあって映画館を作ったことで、どんどんそこからいろんな店ができて、とか。

トップダウン型の開発やまちづくりではないし、なんていうかね、自然に生えてくる感じ?鳥取の各地域によってちょっと違うんだけど、少なくとも湯梨浜はそういう感じかなー。

 

合気道のおかげで私は人生が豊かになったと思う

―合気道って言っているのはこれですかね?

そうです。今の私の生活は「ケアの仕事」と「梅や」と「合気道」で成り立っているといってもいいくらい(笑)。

―なんで(笑)そんなハマってましたっけ?いつから合気道やってました?

えっとね、2018年に東京で始めて半年やって、そのあとアイルランドでも半年やって、帰ってきて再開しようと思っていたらコロナ禍になっちゃって。ずっとやりたかったんだけどエッセンシャルワーカーになっちゃったから様子見てて。ようやく今年の5月に再開したのね。倉吉市の武道館なんだけどさ、冷暖房が無くて、冬激寒なんだけど立派な建物です。今は週2で合気道やってる。

合気道の話をすると終わんなくなっちゃうから、好きすぎて(笑)。何を理由に合気道やるか、みんないろいろあるけど、私は合気道の考え方かな。競わない、力技じゃない、敵がいないとか、あと瞑想みたいな空っぽになる感じとか、すべてが面白くて。ヨガなんかと違って相手がいるというのもすごく面白いよね。 ま、一言では言い表せないけど、もう生活には欠かせないものになっていて。海外でもいろんな人と合気道やってたくさんの人とつながったし、合気道のおかげで私の人生が豊かになったと思う。

 

それぞれの暮らしが詰め合わさって、自分も届けているし、届けられる

これは梨の選果場です。二十世紀梨の産地なんです、湯梨浜町って。ここに行くと直接梨を買えるから、それを家族や日本各地に住んでいる友達とかに「鳥取の美味しいもの便」みたいにして、梨以外にもいろいろ詰め込んで送って。その御礼が届いたのがこの段ボールの写真で。

そういうの送ると、小豆島の蜂蜜や岐阜のお菓子が届いたり、千葉からお米が届いたり。神奈川にいた時は物のやり取りしなかったけど。神奈川や東京でお世話になってた介護事業所の人たちとは今でも仲良くしているから、夏になると梨を送って”元気にしてます?”みたいなやり取りとか、これは今まであんまりなかったな。この時期が来ると、あの人に送ろう、またこの人に送ろうみたいな。

―個人的に送ると、各地からお返しが来てっていうコミュニケーションが発生するんだね。

”お返しください”って言ってないんだけど。でもこういう物のやり取りって、それぞれの暮らしが詰め合わさって、自分も届けているし、届けられるから、それは今の生活の中で嬉しいこと。

―八千代も梨の産地なんですけど、自分の住んでいるところが何かの産地だったりすると、それを介してコミュニケーションが生まれることってありますね、確かに。ウチも梨を函館の家に送ったり、陸前高田の友達に何か送るついでに梨を入れたりしますね。そういうの、いいですよね。

 

 

知的満足度がむしろ横浜より満たされているというのはすごいこと

松崎の「汽水空港」の中です。

ー本屋のね。

そう。「汽水空港」で今読書会やってるんですよ。見田宗介っていう社会学者が去年亡くなって。私、見田先生のこと好きなんだけど、特に見田先生が真木悠介名義で書いた『気流の鳴る音』っていう本が私ホント大好きなの。いつから読み始めたか忘れたけど、どこに行くにも持ち歩いているくらい好きで。「汽水空港」のオーナーの森くんも大好きで、”気流の鳴る音、好きなの?”って聞いたら”大好き!”って言ってて、そしたらその横にいた女子大生が”私も好きです”、近所に住んでるおじさんも”僕もです~”って。え、何ここ?見田宗介が好きな人がこんなにいるってどういうこと?って(笑)。

で、去年見田先生が亡くなったニュース見てホント悲しくて、私が”森くん、見田先生が亡くなっちゃったからみんなで本読みたいな”って言ったら”読書会やりましょう!”って即答してくれた。去年の秋から2か月に1回っていうペースなんだけど、毎回8人とか10人近く集まる。

直接膝を突き合わせて時間と空間を共有する読書会にしたかったから、オンライン参加は原則なしだけど、私の友人で見田先生の教え子だった東京の友達にも声かけたらに”ぜひ参加したい”ってなって。他にも汽水空港を通じて見田研出身の方が関東からオンラインで参加することになり。かなりディープな読書会になっているんだけど。

この知的満足度がむしろ横浜より満たされているというのはすごいことで。「汽水空港」はもちろんだけど、鳥取大学の先生とも仲良くさせてもらってたりして。鳥大には地域学部っていう面白い学部があって、専門を超えた先生たちが同じ学部にいて大学内に閉じないで地域に出て実践知を探究しているような人や学生たちが周りに結構いるんだよね。

有名な人だけじゃなくて、こういうことを話せる人たちが暮らしの中にいるというのは本当にでかくて。

―それは、あれね、オオカワさんには必要なものかなって思った。

あ、でも私だけに必要なものじゃないってことも読書会開いてわかった。湯梨浜町に半年前くらいに引っ越してきた人もね、もう一個移住先の候補があったけど、そこだと知的満足度が得られないのと、他に何の繋がりも無いから、こっちにした、みたいな。鳥取大も一般市民に対して開いている民藝の講座とか、福祉やアートのこととかやっていたり。 「たみ」もそうなんだけど、”やろうよ”とか”じゃあ場所あるよ”っていうのが、日常的にこういうことがあったら誰に話そうとかパッと顔が浮かぶし、浮かばなくても日常の雑談の中からそれができるっていうのが、私の考える生活の豊かさに直結していると思う。

 

 

やっぱり闇が近くにあるのはまともなことだと本当に思う

私、去年はゲストハウス「たみ」でも働いてたので、松崎とはわい町の間を自転車で行き来してたんだけど、その時見ていた風景です。周りはこんな感じ。田んぼだらけで。車が無い時は夜自転車で行き来してたんだけど、虫がもうバッチバチ当たってくるのよ。

―自転車に?

いや、顔に(笑)。もうバチバチバチバチって。ライト付けて走ってるからさ。夜「たみ」の仕事が終わって、夜番だと結構遅かったのよ、11時半とか12時とかにこういう田んぼを通って帰るんだけど、夜中になると湖畔の旅館の明かりとかバンって消えるのね、本当に真っ暗闇になるの、街灯もほとんど無くて。そこを自転車の電気消してびゅーって走ったりするんだけど。

―怖っ(笑)

それが最高なの。星がすごい出ていて、月明かりがあんまりなくて、やっぱり闇が近くにあるのはまともなことだと本当に思う。私は自転車で危ない行為をしているわけなんだけども、恐怖とかスリルとかでなくって、闇に対する喜び?視覚を中心とした意識から身体が解放されるというかな。そういう日常の中に非日常があるっていうか。

―こっちでなかなかやらないですよね。だって消しても星がキレイに見えることないですからね。

闇がないじゃん、やっぱり。その、さっき言った身体スケールと町の規模が合っていないとか、私たちが日々接する情報量もスケール感を超えてるとか、監視資本主義のせいで自分の意志と思ってるものが実は操作されたり欲望させられたりしてるわけで。やっぱりそれってオカシイことだよね。何もないド田舎に住んでいるわけじゃないけど、川は流れているし、死者がいる墓地が家のすぐそばにあるし、畑で土を触ることとか、なんかやっぱり、体に直接入ってくるなにか、言語化できないようなもの、それは非常に真っ当なもの、心身の健康を維持する上では、そういうものが身近にあるなって。

―わかるわかる。でも馴れちゃって、何が合っているのかもよくわからない。

気づいたときにはみんなメンタル崩してたりとかさ。おかしくなっているんだけど、おかしくなっていることに気づかない。気持ち悪さを感じて、大量の、でも現実を生きてくのには実はそんなに必要じゃない情報を阻もうとすると、社会や人々のネットワークから孤立してしまうような強迫観念のようなものに私たちが取り囲まれているから、Facebookひとつやめたら存在していないように感じてしまうとかね。

やっぱり都会とは違う鳥取のポテンシャルはすごいって思う。民藝の精神が根づいてるし。一方でどこの田舎でも一緒だと思うけど、鳥取も大部分は車社会すぎて人があんまり歩いてないとことも多くて、公共交通機関は圧倒的に少なくなってる。“軽自動車は、ここではママチャリみたいなものだ”と大家さんが言ってたのはわからなくもない(笑)。

それでも、ここでは膝を突き合わせて対話をするとか、みんなで同じ夕日を見るとか、直接の物や生活技術のやり取りがあるとか、顔が見える人間関係とか…人間には適正な規模とか適正な身体感覚、適正な人間関係や量、情報量とか。そういう真っ当さみたいなものがある気がする。

 

(聞き手:カトウミワコ)

いろんな世代の人たちと接している、障害を持っているとか、外国籍の人がいるとか、いろんな人といるのが私は幸福。それが成立するような生活を送り続けると思う。生きずらさや苦しみに対して専門職のカウンセリングやソーシャルワークはもちろん有効だけど、地域で、人との関係性の中で癒えていくとか、一緒に住んだり働いたり、暮らしの中で支え合ったり分かち合ったりすることの“力”みたいなもの、そういうのを大事にしていきたい。