他を通じて己を咀嚼する

「自分の中での東京感は 電車なのかもしれない」

他を通じて己を咀嚼する

東京都小平/世田谷

このくらしの主
アゲイシ トウヤさん(25歳)

福島県出身。大学入学を機に上京、以降通っていた大学のある小平に在住。大学では建築を学び、21年11月までは建築事務所に勤務。現在は退職し、海外留学の準備中。

朝起きて、家の前にあるこの道を通って駅に向かう。

ここを歩いている時に、家にいるまで頭のスイッチが切り替わる。7、8年くらい毎日みている風景。普段歩いているけど、ほぼ何も見ていない。頭の中では全然関係ないことを考えている。

 

 

通勤の時間帯は自分の中でいろいろ考える時間に充てている

8時半前、毎朝使う最寄り駅に着く。

大学に入って鷹の台に住み始めて7年くらい。電車が行った後に撮ったので“がらん”としているが、住宅街のど真ん中にあって周りに学校も多いので、通学の学生が特に多いし、通勤の人も多いので、朝はかなり混む。

通勤は片道1時間くらい。でも、日常の電車通勤でしんどいと感じたことはそこまでない。
通勤の時間帯は自分の中でいろいろ考える時間に充てている。たとえば、人に共通しているものは何だろうというのを、目の前にいる人を観察しながら考えていく。それがわかると逆に自分はどうだろうと考える。それを反復的に繰り返す。

見つけた集団心理みたいなものから、こういうものが売れそう、どういう人にウケそうとか、アイデアも生まれてくる。マーケティングに通ずるところがあると思う。通勤電車だけでなく、スーパーでもそう。どういう人が並んでいるレジが早いのか、どういう人がどういう陳列を見ているのかとか。観察しようとして観察しているのではなく、見えているものを分析して蓄積するのが楽しい。

 

 

乗り換えの国分寺駅を新しくできたツインタワーの渡り廊下から眺めた。

3つの路線が乗り合わせていて、日中ひっきりなしに行き来する駅。 大学1年のときは国分寺に住んでいたけど、この風景とは全然違う風景だった。国分寺に住んでいて愛着もあったので、再開発の在り方を卒業制作にしたくらい、この駅や再開発には想いがあった。大学1年で国分寺に来た時に駅前が更地になったところしか見ていないけど、その前は商店街があったみたいで、その時から国分寺を知っている人は僕以上に再開発には思うところがあるはずじゃないかな、と。

 

 

自分の中での東京感は電車なのかもしれない

ここは中央線のホーム、乗り換えて事務所に向かう。

電車乗り始めたのが、大学で東京来てから。地元にいた時は電車に全然乗ったことがなかった。僕が住んでいたところは車社会、とにかく電車に接する機会がなかった。今自分の中で電車が一般的な存在になって、自分の中での東京感は電車なのかもしれない。

そもそも免許を持っていないから、実家に帰ったらすごく不便。それもあって、東京の便利さ、地元の不便さを対比して考えてしまう。東京にいるから精神的に疲れる、田舎に帰ったから癒されるというのは僕にはない。精神的に安らぐのは、場所よりも人と関わっている時の方が大きいかもしれない。静かな場所、眺めのいい場所というよりも、友達とか知り合いとかと会話していたり、食事をしていたり、ゲームして一緒に遊んだりとか、精神的に安らぐのはそっちの方が大きいかな。

 

 

乗り合いバスのような、逆に田舎感を感じていた

通っていた事務所は世田谷線の松原駅の目の前にあった。

鷹の台の人の層と世田谷線に乗っている人の層や時間の流れの違いがあるような気がする。鷹の台は朝晩せわしなく人が行き来して“寝に帰るような”場所で、世田谷線のエリアは “住んでいる場所”という感じ。鷹の台で乗る人は仕事や通勤など目的があるけど、世田谷線に乗ると、何の目的で乗っているんだろうというところが不思議で、乗り合いバスのような、逆に田舎感を感じていた。

 

 

事務所の模型専用部屋。去年10月から退職までの間はひたすらここで模型作りをしていた。

ここにいる時間が長かったので、印象深い。事務所の造りが特殊で、ここは地下にある。地上階にデスクワークをするところがある。地下で閉鎖空間だったので、時間を忘れて集中してしまう場所だった。撮影している後ろ側でレーザーカッターがあって、基本的にはここで材料を切って、組み立てる。ここの机は広いが、当時作っていた模型クラスだとこの机には収まらず、床に置いて、乗って切るというような感じだった。

 

 

地上階にあるデスクワークをする自分の机。

退職する前1か月は模型作りの業務だったので、ほぼここには来なかったが、それまで基本は設計業務だったので、ここで作業するのがメインだった。社長とスタッフとの間に壁もなく、みんなわきあいあいとやっている事務所だった。模型作業をしていた地下室とは違い、緑がたくさんあって明るい。

 

 

作っていた模型が完成し、納品してきた。

1/100スケール、大体1畳分の大きな模型で、レーザーカッターを駆使してアクリルで作り上げた。廃校となった小学校にモニュメントを作る事業があり、その一環で作ることになった模型だった。

模型製作には半年かかった。小学校の図面がなく、全部手書きの図面しか残されていない状況で、写真と手書きの図面をもう一度CAD(建築用の図面設計ソフト)に落とし、さらにその後に模型のCADに落としていくという二段階、三段階くらい前段階の作業があった。この模型の作業が、勤めていた事務所での最後の仕事になった。僕の中では思い出深い。

 

 

自分的にはバーのカウンターでお酒を一人で飲むような感じ

大学1年か2年のときにオープンしたコーヒー店「cribe」。今でも通っている。

大学3年のときにお店の内装を変えたいと依頼をもらって、クラウドファンディングで資金を集めて、ポーチ部分は僕がDIYで作った。大学の夏休み全部使って作ったので、とても大変だったけど。大学に入ったばっかりの頃は特に国分寺で行く店もなかったけど、ここができてから、とりあえず行く店ができた。それまでコーヒーはただの苦い飲み物だったけど、ここのコーヒーを飲むようになってから僕のコーヒー感が変わった。

事務所に勤めていたときは、土日に家事や一日のタスクをこなした後の夕方頃に行き、コーヒー飲んで一息つく。自分的にはバーのカウンターでお酒を一人で飲むような感じに近い。

 

 

モノづくりで正しい主張は一体どっちなんだろう

ライフスタジオの3階の工事を手伝った。物置だった3階に新しいスタジオを作る。

オーナーのジョンさんとは大学2年のときからの付き合いで、もう7年くらい。写真スタジオの内装づくりを長いこと手伝っている。僕の中のモノづくりに対する考え方や建築の見方は割とジョンさんの影響がある。こういう写真スタジオのセットづくりは学んできた建築とは対極的。ここは100%装飾である一方で、学んできた建築やデザインでは装飾を嫌う。普段建築の仕事では真逆のことをしているけど、装飾して空間を作っていると、実際のモノづくりで正しい主張は一体どっちなんだろう、ということ考えてしまう。

ただ、建築とは逆のことをしていて、それがすごい楽しいというは覆しようのない事実だったりする。

 

 

アンティーク家具を3階まで運んで、ほぼ肉体労働。

もともとモノづくりすることは好きだし、体を動かすことも好きだった。ジョンさんの手伝いの後は筋肉痛になる。

テーブルみたいなところに焼酎やビールの缶が並んでいる。ジョンさんはこういう作業のときは「お酒を飲まずにはやってられない」と言って、現場には大体ビールの空き缶が転がっている。そんなにいやなのになんでやるんだろうって謎なんだけど。水よりビールの空き缶の方が多くて、普通に職人に発注していたら、こういう現場にはならない。

 

 

東京に長く住んでみて思うに違いは無いのかもな、と

向こうに松原駅が見える。この風景を1年半ちょっと毎日見ながら通っていた。

東京のど真ん中だけど割と空が広いなというのを、この踏切のところで強く感じていた。鷹の台と比べたら、こっちの方が東京の真ん中に近いから東京感あるかなと思いきや、意外に田舎。東京に住んでいない人からすると、東京=都会に感じるけど、いざ自分が東京に長く住んでみて思うに違いは無いのかもな、と。東京の中で東京感があるのは新宿、渋谷、原宿とかかもしれないけど、実際のメインストリームはこっちなんだよっていう感じもしている。

 

 

(聞き手:カトウ ミワコ)

仕事だけで生活費の全部を稼がなくてもいいのではないかと思い始めていて、今後は仕事以外のことに使う時間を多くとろうと考えている。憧れの地であるモロッコに将来住むためのスキルを身につけるため、コロナが落ち着いてきたら、海外へ留学する予定。これからは内からではなく、外から日本を見て、最終的には人というものを知りたい。