贈与の関係性の中に身を置くこと

「葡萄づくりという生業が この風景をつくりだしている」

贈与の関係性の中に身を置くこと

山梨県山梨市⇄京都府亀岡市

このくらしの主
タナカ ユウゴさん(29歳)

京都府亀岡市出身。hasen inc 代表。一般社団法人山梨市ふるさと振興機構 代表理事。山梨県立大学(COC+R)特任助教。龍谷大学政策学研究科にて、まちづくりのデザインプロセスを研究。在学中はまちづくりのシンクタンクに所属し、地域のコミュニティデザインに従事。2017年からは、山梨県山梨市で一次産業を中心とした文化資源の販売や自治支援に取り組む。2022年には、事業開発とクリエイティブプロデュースに特化したhasen incを設立し、まちづくりの実践・探究を行う。現在は京都と山梨の2拠点暮らし。

■タナカ ユウゴさんの活動

繰り返しの毎日に癒しをくれる存在

朝 5時半頃、起床。

9月から11月にかけては販売している葡萄の収穫の時期にあたり、日々の仕事に加えて仕入れ、梱包、発送業務が発生してめまぐるしく日々が過ぎていく。朝の6時頃から夜の9時頃までずっと肉体労働になるため、この3ヶ月は生活が破綻してしまうのが悩み。

そんな中で癒しをもらっていたのが、このビカクシダ。朝起きると、この子に水をやって光を当ててあげてから、家を出る。

 

 

この日は、まず集荷のため農家さんのところへ向かう。

これは農家さんのもとへ向かう道中で出会った朝6時頃の風景。農業用のマシンだろうか。こんなにもゆったりと走る車は、日中の公道ではあまり見かけることがない。普段は眠っている時間に町を走ってみると、いつもとは異なる風景に出会うことができて新鮮だ。

 

 

この子を撫でて癒される

農家さんの元へ到着すると、いつもかわいい猫が出迎えてくれる。
「西郷隆盛」から名前をとったサイゴウという猫で、人懐っこく可愛い子で、行くたびこの子を撫でて癒される。

山梨の農家さんは、猫を飼っている人が多い。農作業をしているそばで走り回る姿をみていると、猫と暮らしたい気持ちが大きくなってくる。

 

 

定期的に農家さんと一緒に畑を歩いて、葡萄の生育状況を確認したり、出荷の時期を話しあったりする。

関わりのあるみなさんは、自分の仕事と土地に誇りをもっている人ばかり。つくり手の責任感や倫理こそが「産地」を形成するという、当たり前ながらかけがえない事実にいつも心が熱くなる。

 

 

手足を動かすことで実感する“つくること”のリアル

山梨の果樹農家さんとは、販路開拓や商品開発、新規就農者支援の面でお仕事をご一緒しており、付き合いは5年ほどになる。

育てる農家さんによって葡萄の特徴はそれぞれ違う。付き合いが長いと、葡萄を見ただけで、誰がつくったものかわかるようになる。

農業には大量生産という側面はあるけれど、それぞれに生産者の個性やこだわりがある。自分たちはそういった文脈を含めてモノの価値を捉えることが大切だと感じているし、消費者へお届けするときも、少なからずつくり手の体温が感じられる商品をお届けしたいと思っている。

葡萄シーズン以外は、企画やクリエイティブなどソフトのデザインが主な仕事になるけれど、この時期に現場で手足を動かしながら労働やものづくりのリアルを実感できることは、本当に大きな学びになっている。

 

 

“贈与”の関係性の中に身を置くということ

農家さんの畑の脇にある休憩所で、一緒にひと休み。
山梨の農家さんは作業の合間によく休憩をする。地域全体が慌ただしく熱気立つ時期ながら、休憩時間になるとみんな動きを止めて、まったりとおしゃべりをする。

知らなかったことを教えてもらうのは、だいたいこの休憩時間の雑談を通して。小さな語らいの積み重ねが、日々の信頼関係にもいい影響を与えていると思う。

農業は自然を相手にするもので、自然災害や天候不順などの予測外のリスクと付き合う仕事でもある。
そういった苦しい時に助けあえるのは、土地や文化に根ざした信頼関係でつながっているからこそ。私たちと農家さんの関係も、販売者と生産者というビジネス上の立場を超えた関係になりつつあるように感じる。
もちろん経済の論理は大切ではあるものの、地域で仕事をするということは、利害関係とは少し異なる”贈与”の関係性の中に身を置くということなのかもしれない。

 

 

これも集荷作業の途中で目にした風景。
牧丘は、山梨市の葡萄の名産地として知られている地域。あたり一面に葡萄畑が広がる。

雲間から差し込む光がきれいで思わず車を停めてしまった。

人々の葡萄づくりという生業が、この山梨らしい景色をつくりだしている。「風景をつくる仕事」なんて、それだけで尊いものじゃないだろうか。まちづくりを学んできた私からすると、山梨の農業は立派なまちづくりだ。

 

 

“名もなき制作物”の愛おしさ

事務所へ向かう途中、道端のベンチが目に入る。たぶん後ろの畑の人が作ったもの。

この道は結構な坂になっているのだけど、その勾配に合わせるように脚の長さを調整してあってなんとも言えない愛おしさがある。

百姓の人たちは、自らの手でより良い暮らしを作りだしていく。誰かのためではなく、私たちのためだけに生み出される”名もなき制作物”がこの世には沢山あるのだろう。

 

 

事務所に到着。山間部にあるこの建物は、もともと保育園だった施設。

現在は、地域住民の方々との交流やイベント会場、観光ツアーの拠点としても利用している。

暗かった施設に光が灯るだけで嬉しいという地元の人の話も聞く。
コロナ禍になってからは、積極的に集まる機会が減っているものの、これからも地域の拠点として育てていきたいと思う。

 

 

事務所での仕事風景。
天気のいい日は、机と椅子を縁側に引っ張り出して作業することも多い。

周りが山なので、夏は雑草がどんどん生えてくるし、虫も大量に飛び交っている。自然との格闘はなかなか骨が折れる。

 

 

季節の移り変わりを間近に感じる

これは事務所から見える風景。作業がひと段落すると、この景色を眺めて息抜きすることも多い。

この日は夏の終わり。霧がかかっていて幻想的だった。季節の移り変わりを間近で感じられるのはとても気分がいい。

 

 

晴れた夕暮れ時、綺麗に富士山が見えていた

葡萄の出荷シーズンを終えた日の帰り道。長い繁忙期が終わって清々しい気分でいると、晴れた夕暮れに綺麗な富士山が見えていた。

 

 

これは自宅の作業デスクの様子。

余暇時間は本を読んでいることが多い。
気になった書籍はすぐに購入して積読してしまうので、どんどんと未読本が溜まっていく。歴史学や社会学、デザイン、哲学の専門書やエッセイ、評論集など、関心のある本が雑多に積み上がっている。

最近は仕事のための読書が多くなっているので、自分の読みたい本をじっくり読む時間をもっと大切にしていきたい。

 

 

コロナが落ち着いた頃に行った地域ワークショップの様子。現在講義を担当している大学の授業の一環で、学生の皆さんと一緒に場のデザインを行なった。

コロナで止まっていたワークショップ系のお仕事も少しずつ戻ってきた。毎日が慌ただしい葡萄の出荷シーズンとは打って変わって、じっくりと対話し、考えを深める時間もなかなか面白い。

対話から生じるわずかな摩擦や発見が、この土地の文化を再解釈するきっかけになればと考えている。

 

 

この日は山梨の観光プログラム開発のお仕事。
登山家の方々と一緒にリサーチの一環で山に登った時の写真。

夏と違って秋の山は、しんと静かな空気が張り詰めている。

誰かが、山を登る楽しさは五感で自然を味わうことだと言っていたが、自分だけの世界を歩く登山があってもいい。静かで植生も派手ではないこの山は、一人で考えごとをしたい人にはぴったりな観光スポットかもしれない。

 

 

我が家で生活を取り戻す

週末は、京都の自宅へ。

山梨では生活リズムが崩れてしまうけれど、京都の家では妻にあわせて規則正しい生活をする。自分では調整できない暮らしのリズムをパートナーがリセットしてくれるのはとてもありがたい。

 

 

京都の家で育てている植物たち。

山梨では日々の草刈りに汗をかき、自然の猛威に嫌気がさしているというのに、京都では植木鉢におさまる小さな自然を愛でている自分がいる。このアンビバレンスに複雑な気持ちを抱きながら、植物たちに光に当てて、たっぷりの水を与える。

 

(聞き手:カトウ シュン) 

地域という現場で悩み、もがき、汗をかくことで、“まちづくり”というものの手触りを少しずつ掴み始めている感覚がある。これからも身体をとおした学びを大切に、新しい価値観や言葉との出会いを大切にしたい。今は決して人様に誇れる丁寧な暮らしはできていないけれど、生きている喜びを実感する機会は増えてきた。せめて、ちゃんと生きることを諦めない人間でありたいと思う。